232019.10BEHOLDER 移行のお知らせBEHOLDER ご購読者の皆さま 平素はBEHOLDERをご購読いただき、誠にありがとうございます。 新WEBサイト立ち上げに伴い、BEHOLDERは「医薬経済オンライン」に移行しました。下記URLより医薬経済オンラインに遷移できます。https://iyakukeizaionline.com/ BEHOLDERをはじめ、雑誌「医薬経済」のWEB版、「...
182019.10『週刊誌のツボ』 ★“世も末”の気分になる今日この頃 今は昔、選挙区の有権者に1000円相当の「線香セット」を配布したことが、公選法違反になるとして、衆議院議員を辞職、3年間の公民権停止に服した自民党議員がいた。のちの防衛相・小野寺五典氏、2000年のことである。モリカケ問題など、さまざまな疑惑をごまかしてやり過ごす安倍政権においても、選挙区でうちわを配った松島みどり法相が就任翌月に辞任したり、東日本大震災の...
112019.10『週刊誌のツボ』 ★関電事件の奥深い闇 週刊文春は『関電を大阪特捜が逮捕できない「上級人脈」』、週刊新潮は『「国会議員」に献金!「警察」にも餞別! 「高浜のドン」黒革の手帖に「原発マネー」リスト』と銘打って、高浜町元助役の故・森山栄治氏による関西電力幹部への金品贈与事件を報じている。しかし両記事とも、内容はまったく物足りない。森山氏の強引な人格にのみ焦点が当てられ、関電による“地元対策”の内実や...
102019.10【読書子】検診・治療の世界が一変? 『がん検診は、線虫のしごと』「画期的な治療法を開発」「従来の説を覆す新発見」――。 長らく医療や医薬品の業界を担当していると、こうした新聞記事に触れても、「本当に実用化できるのか?」「10年後でしょ」などと、少々、斜に構えた態度で読んでしまうようになる。結局、実現に至らなかった新技術は多い。そしてひっそりと消えていく(ヘルスケア分野に限った話ではないのだが……)。「線虫によるがん検診」...
092019.10昔人の物語(66) 山田方谷「百姓出身の備中聖人」①備中松山藩 山田方谷(ほうこく、1805~1877)は、備中松山藩の藩士(百姓出身)である。幕末に藩の財政を数年で立て直した人物で、その当時は超有名人であったが、今では、地元の人しか知らない。単なる財政再建家だけではなく、陽明学者としても活躍し、備中聖人と言われた。 単に「松山藩」と聞けば、普通は「伊予松山藩」(15万石)を思い描く。「伊予」は「愛媛県」と...
082019.10〈医療過去未来〉医療費適正化――地方の取り組み・大阪の後発医薬品使用促進③●患者の感じる「先発と同等」とは このシリーズでは医療費適正化への地域の取り組みとして、大阪府の後発医薬品(GE)使用促進の事業をテキストに考えていくことにしている。 前回は、23年度達成を目指す「使用割合80%達成に向けて」と題されたロードマップを紹介した。今回はそれに応じて、2018年から19年度のモデル事業を概観していく。参考のため、ロードマップを最後...
082019.10シソ(2) シソのにおい、と言うと日本人の多くは同じにおい、魚料理のツマモノにしばしば登場する緑葉のそれのにおいを思い浮かべるようである。京都のしば漬けで使われるシソもすべてそのにおいである。このにおいは、ぺリルアルデヒドとℓ-リモネンという成分がおよそ5対3の割合で混じったにおいである。ぺリルアルデヒドもℓ-リモネンもモノテルペンと総称される、炭素10個で基本骨格が...
082019.10避難所運営、まずは知ること「避難所はね、住民がつくるものなんですよ」 そんな言葉を防災専門家の講演で聞くことがある。確かに、『避難所運営ガイドライン』(平成28年4月内閣府・防災担当)にも、「原則的には被災者自らが行動し、助け合いながら避難所を運営することが求められる」との記載がある。 思わぬ自然災害で避難者が出る様子をニュースで見るにつけ、内心不安に思っていたところ、近隣で「避難所...
062019.10〔鵜の目鷹の目〕真相は専門家の傲り 東京電力福島第1原発事故を巡る強制起訴裁判の判決は全員無罪だった。当初、捜査を開始した東京地検が不起訴処分としたため、検察審査会に持ち込まれ、2度にわたる不起訴不当の判断を得て、検察官役の指定弁護士が当時の経営陣3人を業務上過失致死傷罪として強制起訴した刑事裁判である。 訴えられたのは勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人。副社長2人は原発...
042019.10『週刊誌のツボ』 ★瀬戸際まで来た業界への助言 サンデー毎日に『伝説の編集者 元「週刊現代」編集長 元木昌彦の緊急提言 嫌韓・政権迎合、部数減……「週刊誌よ、いまこそ牙を磨け!」』という特集が載った。雑誌ジャーナリズム最盛期の1990年代に、講談社でフライデーや週刊現代の編集長を務めた人物による記事である。 正直、当時の週刊現代に格別の印象があったわけではない。文春や新潮と比較して今一歩取材の詰めが甘く...