『週刊誌のツボ』 ★「飄々」や「淡々」の好ましさ

 BS放送の旅番組などで以前からその存在は認識していたが、サンデー毎日の対談ページ『阿木燿子の艶もたけなわ』を読み、これといった印象を持たなかった俳優の関口知宏氏の穏やかな人柄に、改めて好ましさを覚えた。あの関口宏氏を父に持つ2世タレントだが、その立場は芸能人と言うより“旅のナビゲーター”。この対談でも名刺の肩書が「旅人」となっていることが明かされている。


 50代の私世代からすると、旅人という言葉に思い浮かぶのは、沢木耕太郎氏の『深夜特急』。自分自身もバックパッカーとして1年余、中南米を放浪した時期がある。だが1980年代~90年代にひとり旅について書かれ、語られてきた文言には、決まり文句のように「自分探し」というワードがつきまとった。私としてはこれがもう、生理的にダメ。自己陶酔というかナルシスティックというか、そんな嫌悪感を催す言葉に響いたのだ。


 実際、数ある旅人には「自分」を発見した体験者もいるのかもしれない。それでも、それを目的に旅に出る、などと公言する人は、正直、気持ち悪い。自分はと言えば、異文化の外界への好奇心、シンプルにそれだけのことだったし、それで十分に体験を楽しめた。


 旅を語る関口氏の言葉に好感が持てるのは、ありがちな“自己陶酔臭”がなく、極めて飄々と、淡々と、見聞を楽しむさまが伝わってくるからだ。低い目線で旅先の人々に分け入ると同時に、地球儀を俯瞰するような“よそ者としての観察眼”もあり、その感性には知性が溢れている。


 氏が自身の印象をもとに組み立てた仮説では、世界の国々は「喜・怒・哀・楽」の4タイプに分類できるという。唯我独尊の“喜”のタイプは、アメリカや中国。“怒”のボルテージが高いのはドイツや韓国だ。悲観的な“哀”が漂うのは、イギリスやインド。わが日本はと言えば、ある種無責任にも思える楽天主義、なるようになるさ、誰かが何とかしてくれる、という“楽”の国だという。


 私自身は自らの体験から、ラテン系の気質を、日本の対極に位置するものと感じていたのだが、関口式の分類に従えば、日本と同じ“楽”になるようだ。過去、思っても見なかった視点だが、そう言われてみると、あながち的外れでもないように思えてくる。


 そのうえで彼は、宇宙飛行士の若田光一氏の逸話を紹介する。「俺が、俺が」と我の強いアメリカ人やロシア人の飛行士らは、右往左往する若田氏の評価を、当初最下位に位置づけていたのだが、結局はチームワークを重視して仲間を調整する氏の個性が認められ、全員一致で船長に選ばれたという。日本人的な「和の精神」、“楽の資質”の「良い面が出た例」だという。


 一方でこの資質には、他人任せの「悪い面」もあると指摘しつつ、関口氏は「たぶん、他の国の気持ちになれるのは楽の資質を持つ国だけ」という彼のイメージを語っている。「だから日本人は……」などという説教がましい話はせず、あくまでも飄々と「こう思うんです」とつぶやくのだ。


「対立と分断」の空気が世界中を覆い、日本にもその暗雲が垂れ込めるなか、ギスギスした物言いの応酬から距離を置き、それでいて斜に構えたり、「無関心派」に逃げたりせず、俯瞰して冷静に世を見つめている。自分自身を「典型的な楽」と位置付ける関口氏の独特な語り口に、思わず引き込まれた対談記事だった。


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三山喬(みやまたかし)1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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