『週刊誌のツボ』 ★専門的方法論を守る矜持

 週刊ポストで過去3回、歴史家の呉座勇一氏(国際日本文化研究センター助教)と歴史小説家・井沢元彦氏の“論争”が掲載され、非常に興味深かった。発端は、呉座氏が朝日新聞に持つコラムで、井沢氏や百田尚樹氏らの作品を《ファンタジーとして楽しむ分にはいいが、「これが歴史の真実だ!」と勘違いすると危ない》と警告したことだった。名指しでの批判に反発した井沢氏は、ポストで自身が連載する『逆説の日本史』のページを利用して、3週前の号で呉座氏への「公開質問状」を発表した。


 今回初めて気づいたが、井沢氏は昔から続いているこの大長編連載(今週号で実に1221回!)を「歴史ノンフィクション」、自身の調査研究を「歴史学」と呼んでいる。そして、本職の歴史研究者の呉座氏に《あなたの歴史学と私の歴史学はまったく方法論が違う》と挑んでみせるのだ。既存の学問体系そのものを、その基礎知識もないままに自己流のものの見方と対峙させてしまう。申し訳ないが、これだけで私はもう耐え難い気持ちになる。たとえ司馬遼太郎であっても、仮にこんな言い方をしたならば、「違うだろう」と言いたくなる。創作を交えた小説家の作品は、学術論文にはなり得ない。


 井沢氏は、2つの質問を呉座氏にぶつけている。ひとつは、織田信長が浄土宗と法華宗を競わせた宗教論争について。信長が法華宗の弾圧を狙ってこの論争を仕組んだ、とする歴史学界の“通説”を否定的に見る井沢氏は、これを“論破”する浄土宗の学者の論文を発見・紹介し、通説を覆した、と自負している。もうひとつ、日本では飛鳥時代まで、天皇の代替わりごとに遷都が繰り返されていたが、持統天皇のとき藤原京に落ち着いたのは、ある種の宗教改革が行われた結果であり、自分がそれを解き明かした、とも言っている。そしてこの2点の自分の“業績”を呉座氏はどう評価するのか、と迫ったのだ。


 呉座氏は冷徹にこれを一蹴した。1点目については、もしその論文が正しくても、功績は執筆者のもので、井沢氏は論文を紹介したライターにすぎないと指摘。そのうえで、いくつもの史料を例示して、当該論文が正しいとする主張に同意しない理由を説明した。2点目ではもっとはっきりと、《宗教改革うんぬんという井沢氏の「仮説」に関しては、史料的根拠がまったくないので論評の必要は無い》と言い切った。


 これを受け、再反論を発表した井沢氏は、《「仮説」を「推理」と切り捨てる呉座氏の学者にあるまじき態度を糺す》と憤慨してみせたが、これ以上の論争は「時間の無駄」だと論争終結を宣言した。驚くべきことにここ何週か、呉座氏はネット上で元経産官僚の「歴史作家」・八幡和郎氏とも並行して似た論争を繰り広げている。


 もちろん、娯楽読み物としての“歴史モノ”についてまで、彼は否定していない。そういった書物を、「歴史の真実」と主張するケースにのみ、危うさを訴えるのだ。そこには、歴史学を取り巻く昨今の風潮への多大な危機感があるに違いない。信じたいことだけを信じる思い込み。言った者勝ちの傲慢さ――。そんな風潮はどこか、ファクトとロジックをとことん軽視する、昨今のジャーナリズムをめぐる問題とも、重なり合う。いわゆる「ポスト真実」の蔓延である。


 精査したデータを積み重ね、ロジックを組み立てる姿勢のない相手とは、永遠に議論は交わらない。振り返れば歴史学の世界でも、1990年代に「新しい教科書をつくる会」の運動が誕生し、学術的な専門家がほとんどいない集団の手で、ついには学校用教科書まで作られてしまう時代になったのだ。「自分はこう信じる」という客観性のない思い込みが、専門的検証に耐えてきた「学術的通説」を押し退けてしまう時代。そんな状況に絶望する様子もなく、他流試合の議論に立ち向かう呉座氏のファイティング・ポーズには、異分野に身を置く者でありながら、頭の下がる思いがする。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。


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