『週刊誌のツボ』 ★ムラ社会のなかで

 南米で暮らしていた時代、日本人とラテン系の気質の差に思ったのは、「他人の目を異様なほど気にする私たち」と「何を言われてもどこ吹く風の彼ら」という違いだ。「正直・勤勉こそ日本人の心」と主張する人もいたが、たぶん違う。ウソつきとか怠け者などという「周囲への悪印象」を我々は恐れるのだ。そんな小心さに、私たちの本質はあると思う。


 テキトーでだらしないタイプが南米では多数派だが、中にはごく一部、聖人君子のように生真面目な人もいる。信心深い彼らは、「他者の目」など気にせず、「神の目」を恐れる。たとえ地球滅亡の日、最後のひとりになっても、ごみのポイ捨てなどしない。そういった絶対的なモラルは、わが日本人にはない。


 そんなことを最近、とくに感じている。不倫騒動や末端での薬物使用が天下の大罪のように叩かれ、政治や行政、裁判など“公の分野”でどれほどデタラメが続いても、オドオドと腰の引けた批判しか見られない。この驚くほどのアンバランス。メディアで働く多数派は、そのおかしさに気づいても、下を向き、現実に流される。大衆の意思は視聴率が物語る。この国ではやはり、融通無碍な「ムラ社会の集団主義」こそが、最重要の規範なのだ。


 今週の文春スクープは『青山学院理事長の小学校「300万円」入学口利きを告発する』と『「ホテルで関係を……」後藤真希不倫告白文書』。新潮のトップ記事は『「美智子皇后」を苛立たせた「小室圭さん」母上の沙汰無し』。まぁまぁいつも通り、こんなものだろう。


 サンデー毎日で目に留まったのは、保守論客の松原隆一郎氏と中野剛氏による『「Hanada」「Will」路線を叱る』という「憂国対談」だ。言論の劣化を象徴する2誌、という論者らの指摘はその通りと思うが、虚しさというか“今さら感”は拭えない。あのような雑誌がそこそこ売れてしまう現実が、現代のムラ社会的世相につながっている。


 この頃思うのは、過去の論壇が、2誌のようなスタンスを「これもまたひとつの主義主張」と扱ってきた過ちについてだ。同じ日本人に向け「反日」という罵り方をする。その一点において、世間は早くから彼らを全否定すべきだった。


 彼らに言わせると、日本を貶め、弱体化させようと企てる勢力が日本国内にあるらしい。朝日新聞や立憲民主党、最近は沖縄の多数派もそう呼ばれている。自分たちと違う考えの人たちは、どこがなぜ違うのか。それを深く掘り下げて調べるのが、ジャーナリズムの仕事である。殺人事件を報じる場合でも、犯人の動機や背景を調べるのは、「基本のキ」だ。


 ところが“彼ら”は何も調べずに“答え”を知っている。自分たちと異なる主義主張を持つ相手は、「日本を貶め、弱体化させる勢力」の一員なのである。そうに決まっているという。個人的にはそんな人物など、生まれてこの方見たこともないのだが、彼らの主張では、日本人の何割かがそうなのだ。やつらは魔女。先祖から呪われた血が流れている。宇宙からの怪電波で動いている。きっと何でもいいのだろう。「だからやつらは悪いのだ」と言えさえすればいい。そうやって、いつの間にか“彼ら”は、ムラ社会の“空気”をつくる側になった。


 言論には言論で、としばしば言われるが、“彼ら”のカルト論法は、対話が成立する枠外にある。世間はもっと早くそう気づき、“そういう人たち”として彼らを扱うべきだった。もう手遅れかもしれないが、つくづくそう感じる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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