『週刊誌のツボ』 ★つつがなき改元に思う

 新元号をめぐる騒ぎも数日で落ち着いてきた。危惧していたほどエンドレスの空騒ぎにはならず、その点では正直、安堵している。元号という制度の存在や、今回の「令和」には、プラスの感情もマイナスの感情もない。フラットに、ああそうか、と思うだけだ。ただ、昨今のメディアでは、話を広げるにも広げようのない話題、例えば日産ゴーン前会長の保釈時の服装や、ピエール瀧容疑者の“けしからん度合い”をめぐる喧々諤々など、数分で終わる内容をただひたすら希釈して水増しし、繰り返す傾向が著しい。新元号ともなれば、いったいどれほどの“それ一色”が続くのか、先月来、そんな憂鬱な気分でいたのだが、自分なりの“最悪の想定”に比べると、比較的傷は浅く収まったように思う。


 改めてこの30年を振り返ると、役所での手続き以外には、元号を使う頻度は極めて低かった。平成ナン年、などと言われても最後までピンと来なかった。平成元年が1989年だから……と指を追って数えなければ、認識できないままだった。今回の報道では、世代によって元号の受け入れ方が違う、などと紹介されていたが、そんなことはない。複数の時代にまたがって生きてきたか、まだ若くそれを経験していないか、という差異があるだけだ。


 昭和後期生まれの私にしたところで、一切の暗算をしまいまま、昭和ナン年と言えば西暦ナン年、と反射的に思い浮かぶのは、自分の生年を除けば、歴史的な昭和20年や、昭和64年=平成元年など、限られたいくつかのポイントだけである。昭和末期や平成に生まれ、物心ついてからの生活体験が平成オンリーの人たちも、あと何年かすれば、平成・令和換算の“ややこしさ”を否応なく体験する。ナン年前、ナン年ぶり、などという計算は、シンプルな西暦に頼るようになる。


 そう考えると、年号なるものはもはや、その時代その時代をふわっと味付けする“和風の趣”にすぎないように思う。実際、現代人がかろうじて暦としてとらえられる限界は明治以降であり、慶応より前の年号は、ほとんど意味を失っている。暗記や暗算のキャパを越えてしまうからだ(そう考えると、西暦を知る以前の人々の脳内では、「天正のころの話」「応仁のころ以来」といった時間軸が、いったいどのように捉えられたのか、素朴な疑問がわく)。


 で、年号が変わった、おめでたいですね、で終わるべき話に今回、予想通りミソをつけたのは、その発表を自己顕示に政治利用した為政者のあさましさだった。前回の改元では、時の首相・竹下登氏が前に出るイメージはなかったし、「平成おじさん」と呼ばれた小渕恵三官房長官にしても、あくまで額縁を手に持った映像が記憶されるだけだ。当時の為政者らは、あくまでも淡々と公務を遂行した。その点が今回とはまるで違っていた。


 今週の週刊文春は、『安倍政権vs.平成皇室「令和」暗闘ドキュメント』と題し、その部分の“ゲンナリ感”をまとめている。《首相は新元号決定直後の会見で、日本最古の歌集「万葉集」が「令和」の由来だと紹介した。ところが質疑応答になると、元号とは関係なしに自らの“実績”をアピールしていく。「本日から働き方改革がスタートします(略)……」》《本来、元号は特定の個人と結びついてはならないものだ。ところが首相は、新元号にかこつけた実績アピールに余念がない》。


 記事は、安倍首相の平成天皇とのぎくしゃくした関係や、ここに来て始まった新天皇への接近など、政権と皇室の水面下の“暗闘”を描くだけでなく、「平成おじさん」から9年後に首相になった小渕氏の前例を引き、菅氏がこの年明けから“天下盗り”をうかがうようになった、とも記している。時代を覆うようになって久しく淀んだ“邪気”が消え、本当の意味の新時代が到来するその日が心底待ち遠しい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。


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