『週刊誌のツボ』 ★“媒体の気概”が萎んでゆくなかで

 あの伊藤詩織さん準強姦疑惑で、当事者として訴えられていた山口敬之・元RBS記者が詩織さんに1億3000万円もの賠償金支払いを求め反訴、SAPIO誌で疑惑を取り上げた漫画家の小林よしのり氏にも、名誉棄損などの訴訟を起こしたという。今週の週刊新潮が『「小林よしのり」も呆れた! 「伊藤詩織さん」に1億円払えと訴えた安倍総理べったり記者』という記事で報じている。


 記事によれば、山口記者は詩織さんの訴えを「虚構」とし、“悲劇のヒロイン”を演じるデマゴーグと決めつけたうえで、自分は彼女のウソのせいでジャーナリストとして社会的生命を絶たれた、と主張しているという。だが記事は改めて一連の経緯をなぞり、「(山口記者の反訴は)常軌に反している」という小林氏の談話を載せ、ばっさりと彼の反撃を斬り捨てている。


 安倍首相の“ヨイショ本”執筆者として知られる山口記者については、酔い潰れた詩織さんをレイプした疑惑で一旦は裁判所の逮捕状も出て、愛宕署員が成田空港で逮捕する段取りにまでになったものの、まさにその当日、警視庁刑事部長の“ツルの一声”で逮捕が中止された経緯がわかっている。“政治的な裏事情”があからさまな事態だった。


 通常ならこの手の人権問題に、冷笑的なスタンスをとる新潮だが、詩織さんの疑惑や前財務次官によるセクハラ問題では、続けざまに告発スクープを放ち、以来、新潮らしからぬ“弱者の側に立つ報道”を続けている。週刊誌はやはりスクープが命である。たとえ、日ごろのスタンスとは多少違っても、耳目を引くネタをつかんだなら、大々的にこれを報道する。その点に関しての新潮の“まともさ”には敬意を表したい。


 今週気になったのは、文春の『安倍官邸「最終決裂」 菅「令和の変」が始まった』という記事だ。福岡県知事選への介入・惨敗で、麻生太郎副総理が“自爆”した結果、政権内のパワーバランスが崩れ、ポスト安倍首相の有力候補として菅義偉・官房長官の名前が急浮上してきたという。週刊新潮にも『菅官房長官が異例の訪米でいよいよ安倍後継の現実味』という記事が載った。


 私自身は田中角栄の昔から、官僚出身者や世襲議員より“叩き上げの党人派”に好感を抱いてきた。とくに中選挙区時代の叩き上げ政治家には、ドブ板で丹念に庶民の声を拾ってきた“人情派”のイメージが強い。だが、秋田出身の苦労人とされる菅氏の印象は違う。彼に際立つのは“人情”とは真逆の“冷徹さ”だ。


 どの官僚が誰の悪口を言った、というレベルまで霞が関に情報網を巡らせ、あるいは、陰に陽にメディアに圧をかけ、政権に批判的な記者やキャスターを排除していった。長期政権を支える“忖度支配”のシステムをそんな手法で確立した人物、というイメージなのである。そういった菅氏の印象は皮肉にも、保守雑誌の文春や新潮で政界裏話を読むなかで、形づくられた。


 安倍首相のような“日本会議的なイデオロギー色”はあまりない反面、宏池会出身者でありながら極右的な人々の歓心を得る行動をいとわない。その“節操のなさ”は、ある意味、イデオロギーそのものより恐ろしい。原理原則なく権力の掌握をのみ目指すタイプに見えるからだ。ところがここに来て、テレ朝やTBSの情報番組では“令和おじさん”“いい人”“親しみやすい”などと歯の浮くような菅氏評が語られている。両局とも文春や新潮よりずっとリベラルなメディアを標榜してきたはずなのに、現実には、文春・新潮が報じてきたような“冷徹さ”には、気づかないふりをする。メディア界の“忖度システム”も、いよいよここまで来てしまったか。改めて、氏の台頭に“怖さ”を禁じ得なかった。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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