『週刊誌のツボ』 ★断末魔のNHK

 NHK報道の“大本営発表化”がいよいよ最後の局面を迎えようとしている。定時のニュースでは、政権に不都合な出来事をスルーしたり、ごく短い扱いに圧縮してしまったり、露骨な忖度が蔓延るようになって久しいが、かろうじて独立性を維持してきたドキュメンタリー部門にも、組織内政治の“圧”が強まっていると聞く。


 6月に予定されている組織改編は事実上、ETV特集などを担当する「文化・福祉情報番組部」の解体を狙ったものと局内では見做されていて、2月には、70人以上いる部員のほとんどが連名で制作局長に「説明と話し合い」を求める文書を提出したことが伝えられた。看板番組「NHKスペシャル」のスタッフからも、踏み込んだ社会派の企画が極端に通りにくくなった、という悲鳴のような声が漏れ聞こえてくる。


 そんななか、4月9日には、2016年4月に専務理事の職を離れ、子会社「NHKエンタープライズ」の社長に出されていた“官邸のイエスマン”と異名をとる人物が、再び専務理事に返り咲く異例の人事が行われた。今週の週刊文春は『ここでも忖度 NHKに安倍官邸のイエスマンが帰ってきた』とこの問題を報じ、ライバル誌の週刊新潮も『安倍官邸に媚びる「NHK」 異例人事の不純な動機』と、似た記事を載せている。戦後、さまざまな問題はありながらも、先の大戦の反省から、政権とは一定の距離を保つ英国BBCのような「公共放送」を目指してきた“天下のNHK”だったはずなのに、現場レベルの抵抗ももはや風前の灯火になっている。


 文春によれば、問題の新専務は板野裕璽という人物で、さまざまな失言で問題の多かった籾井勝人前会長時代に1度目の専務理事を経験した。菅義偉・官房長官らと太いパイプを持ち、その当時から「官邸の言いなりに動く」人物として知られていたという。この時代の最大の“実績”は、「クローズアップ現代」で菅氏に厳しい質問をぶつけ、菅氏の不興を買った国谷裕子キャスターを降板させたことだとされていて、文春の取材にも、板野氏はそれを否定しなかった。


 そんな板野氏が子会社に出されたのは、政権の意に抗い、籾井前会長が推し進めた関連企業の土地取引に反対したためで、このとき菅官房長官は板野氏の更迭を知り激怒したという。そしてここに来て、板野氏が復活を果たしたのは、来年1月の任期満了後もポストに留まりたい現会長の上田良一氏が、官邸の協力を取り付けるために仕組んだことだったと説明する内部の証言が記事には載っている。もちろん、菅事務所もNHK広報も、こうしたストーリーを公式には認めない。


 片や新潮記事によれば、籾井氏の時代、板野氏は当初“会長のポチ”と呼ばれていたそうで、「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」などと言う籾井前会長の放言・失言があるたびに、その“尻ぬぐい”をする立場だったという。そして、不遇の時代を経て復活した板野氏を、今度は“飼い主が官邸に替わった”と評している。


 過去半世紀、少年時代から、見応えのあるドキュメンタリーの数々にしばしば感銘を受けてきたひとりとして、NHKを牛耳る“こんな人たち”が我欲のために局の独立を売り、政権の意のままに情報を垂れ流す広報機関へと組織を変質させるなら、その罪はとても許しがたい。今後もうしばらく推移を見守るつもりだが、ドキュメンタリー部門の息の根が完全に止まったと判断されたなら、そのときには思い切ってテレビ受信機を処分してNHKを解約することも考えようと思う。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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