『週刊誌のツボ』 ★アニータの夫

 今週は個人的に週刊新潮の『「ジャン・バルジャン」になれなかった 14億円横領の「アニータ」夫』という記事が気になった。ひと昔以上前、南米を拠点に雑誌記事を書いていた時代、週刊誌やワイドショーで“時の人”だったアニータを私自身、その居住国チリに再三取材したからだ。


 そのアニータの夫が刑期を終え、東京・新宿で元受刑者支援団体に身を寄せていたことを知ったのは、つい先日、深夜のNHKドキュメンタリーを見てのことだった。新潮記者とNHKスタッフは同時期にこの男を取材していたのだ。新潮には実名で出ているが、すでに刑を終えた人物ということで、NHK同様ここではA氏としておこう。


 番組によれば、新宿の支援団体は、職に就けず途方に暮れていたA氏に相談され、団体系列の飲食店の仕事を紹介した。だが、この仕事は長続きせず、短期間で離職。すると、団体代表は大胆にも、元巨額横領犯のA氏を事務所の会計係に起用したのだった。あまりにリスキーな判断に、一部スタッフは反発して辞めてしまったが、あくまでも「人を信じる」ことを信条とする代表は、強硬に周囲の反対を押し切った。


 こうした温情に触れるなかで、固く心を閉ざしていたA氏も、少しずつ打ち解けてゆく。しかしある日、団体代表が横領事件の被害者らに会いに行き、謝罪をして誠意を見せたほうがいい、とアドバイスしたところ、A氏は翌日から姿をくらましてしまった。後日、NHKが本人をつかまえると、「そこまで立ち入られたくなかった」と逃げた理由を答えている。


 新潮の描き方はもっと容赦がない。A氏は、NHKの取材を引き受けた団体の対応を批判して「自分は広告塔に利用された」と不満を吐き出した。しかし、その弁はどうやら疑わしい。代表の説明では、嫌なら取材は拒めたし、そもそもこのA氏は、飲食店を辞めたときにも「アニータ事件をばらされたから」と釈明しておきながら、実際には「僕の名前はネットに出てきますよ」などと自分から吹聴したらしい。新潮を読む限り、事務所遁走はやはり、被害者への“償い”の話が嫌だったようである。


 番組と新潮記事、その双方を見て、同業者の私は改めて“信を置きにくい人物”を描き切る難しさを思った。ネガティブな側面も併せ持つ対象者の場合、取材申し込みを応諾する胸中には往々にして、何らかの打算や都合のいい自己顕示欲が潜んでいる。取材者が通り一遍の描き方でなく、リアルな実像に迫りたいと願う場合、どこかの段階で両者は衝突・対立することになる。


「元受刑者の更生」をテーマとした今回のNHK番組は、A氏でなく団体代表者を“主人公”にしたために、“人を信じ裏切られた物語”としてストーリーは成立した。これがもし、A氏ただひとりにスポットを当てようとするものだったら、構成は非常に難しくなっていただろう。A氏との間で当初共有されたに違いないポジティブな“更生・再起の物語”は途中でご破算にするしかない。取材する側はシナリオを大幅に変更せざるを得ず、A氏は取材協力を打ち切ろうとしたはずだ。


 新潮にしても、1本の冷ややかな雑誌記事にするだけなら簡単だが、もし仮にA氏の回想記のような本を狙っていたならば、現実の展開に作業は泥沼化しただろう。本人の“眉唾”な言い分に乗るわけにもいかず、疑義を挟み続ければ関係はギクシャクする。こういったタイプの人物をまとまったストーリーに描くには、いくつもの“想定外”に対応する臨機応変さが求められる。その難しさに取材の断念を強いられるケースもままあるが、対応次第では、人間の暗部をも描き出す秀作になることもある。くせのある人物のドキュメントは、困難だからこそ魅力的な仕事でもあるのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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