『週刊誌のツボ』 ★高齢化でいよいよ社会が崩壊する

 今週、フライデーデジタルの『第3の事件が起きる? 「ひきこもり」問題を社会全体で直視せよ』という記事を読み、なるほど、と思ったのは、記事の末尾にある結びの一文だ。《数十年にわたり社会全体が目を背けてきた問題を今こそ直視しなければ、悲劇はこれからも起き続けるだろう》。


 引きこもりの問題だけではない。池袋の母子死亡事故をきっかけに注目されている高齢者の交通事故。金融庁の報告書で突如クローズアップされた老後資金2000万円が不足するという試算もそうである。平成のはじめに浮上した少子高齢化という“国難”を30年近く無為無策で放置した結果、令和という新時代に差しかかり、いよいよ各方面で具体的問題が噴出し始めたのである。


 前都知事の舛添要一氏が『年金だけじゃ足りない 知ってて騒ぐ野党とマスコミ』というネット記事で《(老後資金の不足は)何年も前から指摘されていたことであり、何ら目新しい発見ではない》と皮肉っているが、果たしてそうだろうか。確かに蓮舫・参議院議員による最初の国会質問は、「日本はこんな国だったのか」という白々しい聞き方で始まったが、ことの本質は「金融庁報告書を好機として、そろそろ抜本的な対策を」という話ではないのか。ところが、麻生太郎・財務大臣は報告書そのものをなかったことにして、問題に蓋をしようとする。“何年も前から指摘されていたこと”の深刻さを、ことここに及んでも誤魔化そうとしているのだ。


 保育園不足の問題が、ひとりの母親の強烈なブログから一気に認知されたように、ある程度わかっていたことでも世間が騒ぎ立てないと、政府は重い腰を上げようとしない。高齢者の自動車免許の問題でも中高年引きこもりの問題でも、惨事が起き、騒がれて初めてことの深刻さを認めるのだ。


 残念なことに、今週の各誌を見渡しても、一連の問題を「高齢化の進行による社会崩壊の顕在化」という捉え方はしていない。たとえば交通事故に関しては、『事故を防ぐドラレコ完全ガイド』(文春)、『高齢者運転 乗っていい人悪い人』(週刊朝日)というような、ちょっとした実用記事は見られても、問題解決のため最も必要なポイント「免許返納後の高齢者の生活」を掘り下げたり、あるいはもっと深刻な「限界集落で車なしで生活する仕組み」を考えてみたりする企画はない。


 中高年の引きこもり、いわゆる「8050問題」でも、老父に殺された息子の行状をより詳しく報じる記事は出ているが、問題を抱える世間一般の家族には「勇気を出し、外部の機関に相談を」という当たり障りのないアドバイスをするだけだ。


 今の雑誌業界の力量では、それも仕方がないことなのかもしれない。つい最近、ある雑誌編集者との雑談で、「シニア向け、ということで高齢者問題を取り上げても、深刻な重い記事は読まれません」と聞かされた。だからこそどの雑誌も、お手軽な“終活”や健康記事でお茶を濁すのだと。若き日にあれほど政治的だった団塊の世代も、一線を退くと身の回りのことにしか関心を示さなくなるらしい。そもそも同じ高齢者でも、懐事情や家庭環境は一人ひとり千差万別で、“日本社会全体の問題”という大構えの話だと、みな他人事に感じてしまうという。


 今週のフライデーには『麻生太郎 金持ち過ぎて「年金」は他人事』という記事もあった。過去30年、政治家が高齢化問題に何ら手を打ってこなかった根本的原因も、結局はこの“他人事”というキーワードに行き着くのかもしれない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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