『週刊誌のツボ』 ★吉本“闇営業”吊るし上げの異様さ

 ベッキーの不倫スクープがネット世論を爆発的に炎上させ、「文春砲」という言葉が生まれたのは3年前の1月。以来、多種多様な不正やスキャンダルのなか、突出して世間に叩かれる“可燃性の高い案件”が時折現れる。ベッキー騒動では、当の文春編集長までもが彼女の“吊るし上げ状況”に驚愕し、困惑や同情を吐露したものだった。振り返ると、私はあのころから日本人の“怒りの物差し”が狂い始めたと感じている。


 不倫のような第三者に実害のない小さな出来事ほど、よってたかってリンチ状態になる傾向である。その要因はおそらく複雑で、社会心理学的な分析が必要だろう。私が皮肉に感じるのは、ネットの隆盛で週刊誌の売り上げが右肩下がりで減る一方、“雑誌発のゴシップ報道”がもたらす世の中への影響は、かつてないほどに膨れ上がっていることだ。以前なら、ある雑誌が誰かを叩いても、これほどの“総バッシング状態”には滅多にならなかった。ネット空間は、そのスケールこそ巨大だが、1次情報をきちんと取材・発掘する力が内部にあまりない。外部から“燃料”が投下された途端、ピラニアのように飢えたゴシップマニアが群がるのだ。


 そんなことをふと思ったのは、吉本芸人を中心とする今回の“闇営業問題”の騒がれ方を見てのことだった。端緒を掘り起こしたフライデーの記事そのものは、別にあれでよかったと思う。ある雑誌が1次的な情報を得て、けしからんと叩く。ごく普通のことである。こんな週刊誌報道が出た、ああそうか……。本来は、そのくらいのリアクションで収まるべき話なのに、雑誌読者でもない人にまで、重大犯罪のように叩かれてしまっている。


 芸人の営業で事務所を通すか通さないか、という点は、あくまで会社と事務所との問題である(糺されるべき脱税の疑いがあるにしても、それは“こっそりやっている副業”に伴う問題と同じだ)。「闇営業」「直の営業」と呼ばれる“仕事の受注法”以上に、今回はその相手の素性、「反社会勢力」、という点がポイントになっている。ただこれに関しても、問題のパーティーが開かれただいぶ後になって彼らの犯罪は発覚した。営業が行われた当時、警察さえまだ立件できずにいた対象者の素性を、芸人たちが事前に調べ上げ、把握することなど、できるはずもない。


 テレビ番組で爆笑問題の太田光氏が「会場を提供した一流ホテルだって見抜けなかったのに……」と言っていたが、その通りだと思う。「詐欺犯罪で得たカネで報酬を得た」などという言い草も、それを言うならば、同じころ、彼らに缶コーヒーを売ったコンビニも、出前を届けたラーメン屋も“同罪”になるはずだ。彼らの“犯罪性”を察知できるほど深い付き合いがあったならいざ知らず、ただ一度、ガラの悪い連中の前で営業した、というだけで社会的に抹殺されかねない現状は、明らかに異常である。


 事務所を通さずに行った営業先が“反社”だと判明→“ヤバイ”と思い「報酬はもらっていない」とウソをつき、ばれてしまった。要するにこれだけの話である。そのウソがけしからん、と糾弾者は言い募るが、それはもうごく軽微な“けしからん罪”であり、当事者は十分すぎるほど報いを受けている。ウソをつきました、ごめんなさい、で済む話だ。


 そんな思いでいたところ、今週の週刊新潮は『とうとう「さんま」が後輩に助け舟! そんなに悪いか「吉本の闇営業」』という記事を載せた。週刊文春もワイド特集で渦中の芸人・宮迫博之氏について小さな記事を1本載せただけだ。いつもの新潮は、確信犯的な“燃料投下”としか思えない捻じ曲げた中傷記事をよく載せるが、今回の件に関しては、珍しく共感できる記事だった。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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