【気になる!コトバ】浮きこぼれ(8月28日『NHKクロ現プラス』から)

 夏休みの終わりも近い8月末、NHK総合『クローズアップ現代+』で『知られざる天才 “ギフテッド”の素顔』が放送された。


 生まれつき飛び抜けて高い知能や才能を持つ人「ギフテッド(gifted)」と「タレンテッド(talented)」は、海外では広く知られている。アインシュタインやビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグもその一例だ。日本にも250万人程度いるとされる。ところが、国内では概念が浸透していないために、才能を秘めた若者の多くが「生きづらさ」を感じているという。


 わが国では、小中学生の不登校が4年連続で13万人を超え、画一的でない教育が模索される中で、「ギフテッド」に注目が集まっているのだそうだ。


◆周囲から理解されない突出した才能

 

「ギフテッド」は、言語能力や記憶力などの知的能力を測る知能指数(IQ)が、全人口の上位2%に入る人たちで、目安はIQ130以上。同番組には、棋士の加藤一二三さんを含む7人の実例が登場した(いずれも男性)。


 極めつけは、5億人に1人に相当するIQ188の大学1年生。1歳の後半でローマ字、3歳で漢字を書き始めたが、ごく平凡に生きてきた両親は自分たちから頭の切れる子が生まれるとは夢にも思わず、専門学校で「食べていける」技術を身につけることを勧めた。大学生になった今は数式の美しさに幸福を感じ、通りがかりに見た木の表面に幾何学的に並ぶイボイボに数学的な規則性を発見して、目を輝かせる。だが、「誰か(自分のことを)わかってくれる人はいないのか」という強い孤独感は、常にあったと語る。


 IQ144の小学6年生は、子どもの頃から生物や人体の専門書が大好きだったが、同級生からは好奇の目で見られ、担任からは「○○くんは宇宙人で理解できない」「扱いに困る」と言われて、宿題をやりながら自分の髪を抜き続けるほどイライラした精神状態に陥った。自転車店を営む母親は、どうしてよいかわからず途方にくれたという。


 周囲に理解されない「ギフテッド」が直面しがちな問題は、学力不振による「落ちこぼれ」とは対極の「浮きこぼれ」。なんとももったいない話ではないか。


◆半世紀近い歴史を持つ米国のギフテッド教育


 保護者として「ギフテッド」の子どもを育て、専門校でも教えた経験を持つ「ギフテッド教育専門家」によると、米国には「ギフテッド」の子だけを集めて教育する私立の専門校もあれば、「ギフテッド」の子どもがいたら、ある時間だけ一緒に別の授業を行う公立校もあるそうだ。


 いったいどんな仕組みなのか。筆者は米国の初等中等教育について調べてみた〈図〉。



 現在の教育法の基盤である米国初等中等教育法(ESEA)は1965年につくられた。1980年代前半までの教育は貧困層の子どもにも機会を与える平等保障政策の一環であり、財政支援などの「インプット重視」だった。1980年代後半以降は「アウトプット重視」に転換。2000年代は連邦政府主導で全公立校に一定レベルに達する義務と制裁措置が課され、学力向上への結果責任が厳しく問われる体制になった。その揺り戻しで現在は、結果責任は伴うものの、州や学区の自由裁量が拡大されている。


 こうした流れの中で「ギフテッド教育」が盛んになったのは最近かと思いきや、1970年代初頭には既に注目されて個別の支援が行われ、1988年には、才能ある学生のための法律(Javits Act)がESEAの一部として法制化された。


 ESEAの中で「GIFTED AND TALENTED」は、「学生、子ども、若者について使う場合」、「知的・創造的・芸術的な分野やリーダーシップ、あるいは特定の学術分野において、目覚ましい能力(生来的・潜在的な可能性を含む能力capacity)を持ち」かつ「こうした能力をいかんなく発揮できるよう育てるために、通常の学校では提供できないサービスや活動を必要とする」人を指す。削減の圧力はありながらも、2019会計年度で1,200万ドル(約13億円)の連邦予算が、ギフテッド教育に充てられている。


 その背景には、もともと多様性を前提とした社会であったことと、「ギフテッドの子どもを社会で育て、その恩恵を享受していこう」という考え方があるようだ。


◆高IQはひとつの個性に過ぎない


 この番組から伝わってきたのは、「高IQ→エリート→他者の援助不要」という図式ではなく、「突出した高IQ→周囲の無理解→社会的振る舞いや感情への悪影響→周囲の理解や仲間の必要性」という実例がいくらでもある、というメッセージだ。


 高IQだからといって、生活力を含めてすべての面で秀でているわけではなく、能力や個性の凹凸がある。難しいのは、家庭や普通の学校で「凹凸を認めて個性を伸ばす」具体的な方法だ。特に、小学校の教師が「自分よりこの子の方が優れている」と認めながら指導することは至難のわざではないだろうか。


 筆者の娘が小学1年のとき、担任の若い女性教師は「仮説実験授業」を得意としていた。ある質問に対し、子どもが結果を予測し自由に話し合う、その後実験して確かめるが「正解」を重視するわけではない、という「考える」授業だ。比較的呑気な公立校だったので保護者は「変わり者の先生」程度の受け止めだったが、学校によっては「そんなヒマがあったら、少しでも普通の授業を進めて」というクレームを受けたかもしれない。


 知識と思考力のバランス、多様性を認めつつ個性を伸ばす方法など課題は多く、教師個人の力ではなかなか乗り切れないと思う。


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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。

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