『週刊誌のツボ』 ★青臭い思い

 先週号の誌面で『「安倍総理」と「小泉進次郎」が訣別!』とやらかした週刊新潮が、今週は『逃げる「小泉進次郎」』という特集を組んでいる。「ポスト安倍政権」の勢力図を、「菅義偉官房長官+小泉進次郎環境相+河野太郎外相」のグループと「岸田文雄政調会長+安倍晋三首相+茂木敏充外相+加藤勝信厚労相」の二者対立、すなわち「菅進太郎vs.岸部敏信」という構図だと解説する。


《こうした構図が浮かび上がってきたこと自体、この度の賭場の勝者が誰であるかを物語っていると言えよう。「vs.構図」を生み出した菅氏その人である。そしてもうひとりの勝者として、世間の関心を一身に集める人物をあげないわけにはいかない。言わずもがな、政界きっての人気者である小泉進次郎氏だ》


 そのうえで、進次郎氏に向け、原発政策や福島の汚染水問題、今回の入閣と石破茂・元地方創生相支持だった過去との整合性、育休発言のごまかし、といった問題で「公開質問」を投げかける。


 進次郎氏に関してはここに来て、元財務官僚の若手コメンテーター・山口真由氏が「言語明瞭意味不明」と揶揄された竹下登・元首相になぞらえ“ポエム的発言”を皮肉るなど、テレビ番組でも逆風が吹いている。私自身はすでに本欄で、進次郎氏を冷ややかに見ていると明かしたつもりだが、遠慮会釈のないメディアの物言いを見ていると、改めて複雑な思いが湧く。現政権のように熱狂的イデオロギー集団の応援がない相手だと、たとえ与党政治家でもマスコミはビビらずに批判するものなのだと。


 週刊新潮にも嫌味を言っておく。先週のような見出しの記事をもし、朝日系の媒体が書いたなら、必ずや「大誤報」と叩きまくるはずなのに、自らの記事ではまるで何事もなかったかの素知らぬ顔である。毎度のことながら、ずいぶん都合のいい話だ。


 サンデー毎日は巻頭のトップ記事で、『「出版人としての覚悟を問う」』と題し、週刊ポストによる例の嫌韓ヘイト記事謝罪問題について、いちはやくポスト記事に抗議した思想家の内田樹氏がその思いを綴っている。


 内田氏は問題の記事以上に、版元・小学館があっさりと謝罪、編集部もまったく抗わなかったことを嘆いている。信念があってヘイト的な記事を組むのなら、どんなに叩かれても貫くべきだったと。『新潮45』の廃刊に際しても似た憤りを感じたという。


《なぜ彼らはこうも簡単に謝罪するのか? 理由は簡単である。別にそれらの言葉は彼らが「職を賭してでも言いたいこと」ではなかったからである》《おおかたの出版人は鼻先で笑うことだろう。「何を青臭いことを言ってるんですか。そういう記事を読みたいという読者がいるから、記事を書いているだけですよ(略)》


 私にも同様の思いがある。雑誌の関係者と酒を飲めば、その社の媒体で見たヘイト記事について、その都度嫌悪感を示してきた。そんな商売になぜ、うしろ暗さを感じないのかと。それでも先方は「そこまで深く考えて仕事をしていない」と言うだけだ。この悪意のなさにこそ、深刻な問題がある。


 1930年代のメディアもおそらくこんな調子だったのだろう。『麦と兵隊』など従軍小説で人気作家となり、戦後、戦争協力者の汚名に苦しんで自殺した火野葦平などは例外中の例外。ほとんどの言論・出版関係者は、戦後は戦後、ケロリと民主主義に宗旨替えをした。国の指導者の多くもそうだった。それで通し、それを許す。残念だが、それが我われの国民性かもしれない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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