『週刊誌のツボ』 ★瀬戸際まで来た業界への助言

 サンデー毎日に『伝説の編集者 元「週刊現代」編集長 元木昌彦の緊急提言 嫌韓・政権迎合、部数減……「週刊誌よ、いまこそ牙を磨け!」』という特集が載った。雑誌ジャーナリズム最盛期の1990年代に、講談社でフライデーや週刊現代の編集長を務めた人物による記事である。


 正直、当時の週刊現代に格別の印象があったわけではない。文春や新潮と比較して今一歩取材の詰めが甘く、“生煮えのスクープ”を出しては名誉棄損で訴えられ、裁判でよく負ける雑誌、というイメージが強かった。「1~2週、掲載を遅らせてでも、もうちょっと取材すればいいのに……」という感想を、そのころの現代記者に漏らした記憶がある。ただそれでも、健康記事と終活、シルバーセックス記事だらけになった現在の週刊現代とは比べ物にならないほど、当時はまだ活気のある雑誌だった。


 業界の古老・元木氏の直言は実に情け容赦ない。冒頭の一文から《週刊誌はその役割を終えようとしている》と挑発的に始まり、「売らんかな」の嫌韓記事で批判にさらされた週刊ポストを叩いたあと、自身の古巣・週刊現代にも触れて、毎月のように合併号を出し、実質月3回発行の現状を《老人健康雑誌と見紛う雑誌づくりでは、もはや週刊誌である必要はないのだろう》と辛辣に評している。


 業界の雄・週刊文春にも《芸能人たちや小物政治家のスキャンダルばかりで、政権を揺るがすスキャンダルにはお目にかかれない》と断じる。そして、週刊誌全体がメディアとしての信頼を大きく損なったきっかけは2009年、週刊新潮による赤報隊事件の「実行犯実名手記」という大誤報だった、と振り返っている。


 それでも氏は新聞やテレビが軒並み“ポチ”になり下がった現状で、《今ほど週刊誌にとって可能性のある時代はない》と、開き直り的な“奮起”を求めている。その“余力”がまだ、どこかの編集部に残されているかどうか、甚だ心許ないが、破れかぶれでもいいから破壊力のある記事を、というのは、業界周辺にいる多くが望むことだ。


 今週はそんななか、スクープ性はないものの、好奇心をくすぐられる良質の取材記事2つに目が留まった。ひとつは週刊新潮の『SNSで1000万円荒稼ぎ! シノギと化した覇権争い! 監禁被害者が語る「高校生の仁義なき戦い」』で、もうひとつはサンデー毎日に載ったノンフィクションライター水谷竹秀氏の『バンコクに吸い寄せられた就職氷河期世代ロスジェネの憂鬱』というルポだ。


 前者はタイトルだけ見ても意味不明だが、LINEの人気コンテンツで200万人のフォロワーを持ち、広告収入のあるブログへと誘導するビジネスで成功した高校生が、“同業”の高校生らに監禁・脅迫され、アカウントを乗っ取られたという話だ。SNSには縁遠いシニア世代の私だが、最近はこんな事件まで起きる時代になったのか、と改めて驚く。


 後者は、バンコクにある大手コールセンター2社で数百人働くという日本人オペレーターたちのルポ。彼らの賃金は現地採用邦人の最底辺、月額10万5千円ほどだという。日本では職が見つからず流れ着いた30~40代で、日本に帰るに帰れない希望のない日々が取材されている。このような“未知の世界”が描かれた記事に引き寄せられるのは、テレビ・新聞の日常報道にも“発掘型”の取材が少ないためだろう。雑誌報道が生き残るには、巨悪を撃つ告発スクープだけでなく、こうした丁寧な取材にも活路がある気がする。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。

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