〔鵜の目鷹の目〕真相は専門家の傲り

 東京電力福島第1原発事故を巡る強制起訴裁判の判決は全員無罪だった。当初、捜査を開始した東京地検が不起訴処分としたため、検察審査会に持ち込まれ、2度にわたる不起訴不当の判断を得て、検察官役の指定弁護士が当時の経営陣3人を業務上過失致死傷罪として強制起訴した刑事裁判である。


 訴えられたのは勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人。副社長2人は原発の最高責任者である元原子力立地本部長である。起訴理由は、福島第1原発1号機から4号機の敷地(海抜10メートル)を上回る15メートル超の津波を予見できたのに対策を怠り、原発から4.5キロ離れた病院の入院患者に避難を余儀なくさせ、うち44人を死亡させたとして、旧経営陣3人に禁固5年を求刑した。


 だが、東京地裁の判決は「事故当時、高さ10メートルを超える巨大津波を予見し、安全対策工事が終わるまで原発の運転を止めるべき義務があったと認めるのは困難」として、3人に刑事責任は問えない、という判断だった。


 この無罪判決に新聞、テレビは遺族や避難者の憤りの声を伝え、「釈然としない判決」「無罪でも消えない責任」などと批判した。こうした声を受けて、指定弁護士は地裁判決を不服として東京高裁に控訴し、今後は高裁で争うことになった。


 だが、有り体に言えば、無罪判決は当然だろう。といって、不起訴にした東京地検を擁護するわけではない。現在の研究では3年以内に起こるのか、10年後か、それとも30年後に起こるのかもわからない地震による巨大津波の対策を取らなかったことを理由にしたのでは、責任を問うのは難しいだろう。


 福島原発事故が起こった時、マスコミは一斉に「人災だ」と叫んだ。ところが、この「人災」はいつしか「巨大津波を予見して対策を取らなかった」ことに変質した。国が原発の地震対策の見直しを求めていたことや、地震学者の間で巨大地震が起こった時、15.7メートルを超える津波が押し寄せると警告していたことを大きく報道し、津波対策を取らなかったことを事故の原因にしてしまった。裁判でも指定弁護士は津波対策を事故原因と主張している。


 だが、「人災事故」を巨大津波対策のせいにしたことに無理がある。そもそも昭和40年代に建設された福島第1原発は過去の例からM(マグニチュード)7.5の地震に対する耐震能力、津波は5.7メートルと想定して設計されている。当時の地震研究はその程度のものだった。


 しかし、それでもM9.0の地震が起こった時、福島原発より震源地に近い東北電力の女川原発は揺れによる設備の損傷はなかったし、海抜16メートルの敷地には津波の被害は及ばなかった。停電であたふたしたが、非常用電源が動き、事故にはならなかった。それどころか、津波を逃れる市民の一時避難場所にさえなった。福島第1原発の南10キロにある福島第2原発4機は停電と14メートル超の津波に襲われたが、非常用電源が稼働し、事故には至らなかった。


 福島第1原発で事故を起こしたのは1号機から4号機までの4機の原発で、「マーク1」と呼ばれる初期の沸騰水型軽水炉で発電能力は45万キロワットの小型原発だが、隣にある5号機、6号機は同じ波高の津波に襲われたものの、どうにか非常用電源を動かすことができ、事故を免れている。どうして福島原発の4機だけが事故を起こしたのか。


 実は、事故を起こしたマーク1については米国の原子力規制委員会で問題になったことがある。問題の中身はマーク1の原子炉格納容器が小さいため、原子炉が事故を起こした際、高熱により冷却水から発生する水素が濃厚になり、水素爆発を起こしやすい、という懸念だった。まさに福島原発事故そのものを予測した内容である。


 当時、米原子力規制委員会とメーカーのGE、原子力工学の学者たちが喧々諤々の論争をし、最終的には水素爆発を起こさせないためにフィルターとベントの設置を義務化することに落ち着いた。事故の際、フィルターを通して放射能を減らしたうえで、ベントを開放して原子炉容器内の気圧を下げることしたのである。


 このフィルターとベントの設置は日本の原子力委員会(当時、現原子力規制委員会)にも伝えられたが、電力会社側から費用がかかり過ぎると反発され、結局、「ベント設置は義務化、フィルターは任意」にすることで終わってしまった。福島原発事故ではベントが開かず、水素爆発を起こし、福島県民100万人の頭上に放射能をばら撒いた。


 では、なぜ事故が起こったのか。事故直後、東電の原発部門の最高責任者で、原子力工学の技術者でもある武黒元副社長と武藤元副社長が「全電源喪失がすべてだ」と語ったように、全電源の途絶が爆発事故の原因だ。地震直後、制御棒が下り、(連続して核分裂が続く)臨界は止まったが、外部電源喪失でポンプが稼働せず冷却水を循環させることができず、結果、水素が充満し、爆発を起こしたというのが事故の経過だ。こうした非常時に備えるのが非常用電源である。だが、福島第1原発の4機はなぜ非常用電源が動かなかったのか。


 その理由は、非常用発電機を地下に移したからである。建設された当時、非常用電源は原子炉建屋の4階にあった。海抜で測れば20メートルほどの高さになる。15.5メートルの津波が来ても稼働できたはずだった。だが、東電は非常用発電機をタービン建屋の地下に移した。タービン建屋の地下が空いているからというのが理由で、東電の原子力部門は「われわれが動かしているのだから心配はない」と主張し、原子力委員会も原子力保安院も押し切られて地下に移すことを認めたのである。


 その結果、非常用発電機は津波で水没し、ポンプは動かなかった。外部電源、非常用電源も途絶えた福島原発は冷却水が循環せず、高熱で発生した水素が溜まり、爆発……。


 津波でなくても、9月の台風15号で被害を受けた千葉のように停電と内水氾濫が起こったら、同じような事故が起こり得る。原因は津波ではなく、非常用発電機を地下に移したことによる全電源喪失なのだ。全電源喪失を惹起した“原子力村”の責任を追及すべきなのに、自然災害である津波への対策を怠ったことを原因にした起訴では裁判官も無罪にするしかないだろう。


 ではなぜ、全電源喪失させるようなことを起こすのか。真相は原子力村の傲りである。例えば、東京大学工学部の中で再優秀な学生が集まるのが原子力工学科だった。東大は原発問題が起こると、そのたびに学科名を変えるのだが、この原子力工学科の中でも最も成績優秀な学生の就職先が電力会社である。大学で学んだ理論を実地で行えるのだから当然なのだが、就職後、電気工学や建築工学を学んだ技術者をどうしても下に見てしまう。口にしなくても電気屋、いや、設備屋程度に見下している。


 社内でも原発部門は売上げで30%に達し、利益では35%を超えるのだから、肩で風を切って歩く。彼らを「原発村」と呼ぶのだが、最も優秀な人たちだけに「原発のことはわれわれが知っているから心配しなくてもいい」という態度になってしまっている。


 その好例が2002年に発覚した「東電データ捏造事件」である。ご記憶の人もいるだろうが、製造物責任に則ってGEが検査に入り、原子炉内のシュラウド(炉心隔壁)のひび割れ6ヵ所を含む29件の改善点を東電に指摘して帰国した。それを東電は自主点検記録にシュラウドのひび割れ3ヵ所と捏造して記録して、通産省(現経産省)に報告して済ましたのだが、GEの検査官のひとりから「改善点はもっとある」と内部告発があり、問題になった事件だ。


 原子力安全保安院の聴取に対し、東電は否定し続け、国会でも問題になった。結局、GEが協力することになったとたん、東電は「実は29ヵ所ありました」と白状。歴代の社長4人と原子力部門の副社長の5人が引責辞任した。このとき、原発部門では「この程度のことまで報告しなければいけないのか」と驚いたのだという。原発のことはわれわれ専門家に任せておけばよい、という発想だったのである。


 付け加えれば、データ捏造事件後、原子力部門のトップに火力発電出身者が就任した。が、退職後、親しい人に「在任中は原発の現場からは何の報告もなかった」と無視されたことを語っている。


 原子力のことは誰よりも知っているという原子力村の技術者たちの自負が「安全神話」をつくりだした。危険を伴う原発には多重、多様な防御体制が用意される。外部電源に非常用電源、水素爆発防御のためにフィルターとベントの設置という具合だが、それを疎かにした結果が福島原発事故だ。津波ではなく、原子力村の傲りが事故の原因として裁判で争ったら判決は違ったものになったのではなかろうか。(常)

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